普蔵寺あゆみ
普蔵寺は祥景山と号します。以前は、名古屋市東区七小町(元は東寺町)※1の北側にあり、面積は655坪3合2勺(約2166平方メートル)ありました。徳川時代には582坪が除地※2となりました。
一等法地(徳川時代は色衣、長老地)29級で、萬松寺の末寺です。元は名古屋村にありましたが、名古屋城築城の折りに七小町に移りました。
蓬州旧勝録に「今以旧跡に普蔵松とて古株の松在り」と書かれており、「小治田之真清水」には、巾下(はばした)御堀ばた御鷹部屋の南※3に樹齢4~500年の松があり、堀の水にひたしていましたが、文化四年(1807年)八月の大風で倒れたと書かれています。
これが普蔵寺境内の松である旨が記されています。
普蔵寺は、浄安瑞清(慶長12年(1607年)2月27日没)が開基しました。萬松寺四世の太宗永播大和尚がこの地に隠居するということになり、貞享二年(1685年)に萬松寺十世の日辰存東大和尚を勧請して出世地とし、次いで十一世の久峯淳昌大和尚を二世に勧請して、同四年(1687年)御目見地となりました。
昭和20年名古屋大空襲で消失したため、伽藍復興のため昭和48年に現在地に移転しました。 平成18年現住職18世が晋山結制をしました。